偉人と酒 ~昔の人の飲みっぷり編~

「酒は飲んでも飲まれるな」とは古くから言い伝えられることわざなのでしょうか。だとすれば「どの口が言いよるんじゃ」と小言を言いたくなるぐらい、昔の人の飲みっぷりは盛んだったようです。

江戸時代には庶民の娯楽として大酒・大食い大会が人気でしたが、その大会記録には腰を抜かすようなものがあります。数ある大会の中で有名なのが、文化14年(1817年)に両国の料亭「万八楼」で開催された大会。この大会は ①菓子の部 ②飯の部 ③蕎麦の部 ④鰻の部 ⑤酒の部 の5部門に分かれて行われました。「鰻の大食いとはなんと贅沢な」と思うところですが、それはさておき、酒の部の記録に注目してみましょう。

「慶安代酒戦図」参加者が手にする酒盃はあまりに巨大。

酒の部で並みいる強豪を制した鯉屋利兵衛さん(30歳)の記録は「3升入りの盃 6杯半(=19.5升)」というもの。1升≒1.8Lですから、鯉屋さんの記録は19.5升≒35.1L!江戸時代の話なので、酒の種類はもちろん日本酒(アルコール度数は現代の半分程度であったと言われます)。私も酒は好きですが、日本酒は鯉屋さんの10分の1(3.5L)飲むのも無理だなあ。

同じ大会で名を残す天堀屋七右衛門さん(73歳)の記録は「5升入りのどんぶり 1杯半(=7.5升)」でした。御年73歳で7.5升≒13.5Lと化け物のような飲みっぷり!江戸時代の73歳ですから、かなりの高齢者という認識になるのでは?

とはいえ、これだけ飲んでは両名も平気ではなく、 鯉屋さんは7杯目を飲んでいる途中で倒れてしまい、しばらくしてから目を覚まして水を茶碗で17杯も飲んだとか。天堀屋さんは大会途中に「所用があるので」と言い残して帰りましたが、さすがにすんなり帰れずに湯島聖堂の土手でひっくり返り、翌朝4時頃に起き上がって帰っていきました。

このように、昔から大酒飲みたちは良く言えば「気持ちのいい」、悪く言えば「滅茶苦茶な」飲みっぷりを披露してきました。その中には飲酒を原因として身を持ち崩した人も多くいたことでしょう。

古き酒の味を伝える日本酒「剣菱」の製造風景(1505年創業)

しかし、酒好きの中には功成り名を遂げた人物もいます。中世ならば、戦国最強の武将として名高い上杉謙信や、飲み比べで天下名三槍のひとつ「日本号」を勝ち取った母里太兵衛が有名です。近世ならば、日露戦争の英雄として名高い秋山好古は、戦場では常に水筒に酒を入れていたといいます。今後、このような歴史上の偉人の飲みっぷりについて学ぶことにより、酒との付き合い方について考えてみよう!と思っている次第です。

なお、第2回は「偉人と酒 ~越後の龍 上杉謙信編~」とする予定です。

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