特別展「三国志」を観ました (その2 / 英雄達の姿)

この記事では、2019年10月1日(火)~2020年1月5日(日)に九州国立博物館で開催されている、特別展「三国志」の展示品の所感について記しています。

なお、記事中に展示品の写真が多数ありますが、特別展「三国志展」は全展示の撮影及び個人利用が許可されていることを書き添えておきます。自宅でも展示品を細部まで観賞できるため、嬉しい計らいでした。

関羽像 (清時代 / 15~16世紀)

はやる心を宥めつつ、展示室に足を踏み入れると、目の前に展覧会の顔である「関羽像」が鎮座していました。「鳳眼」といわれる鋭い目つき、立ち上がれば2m近いであろう体躯、獣面の装飾を伴う金鎖甲…陣中で腰掛ける姿を表した銅像で、なんとも侵しがたい威厳と気品に溢れています。

『三国志演義』では、関羽について「身長9尺3寸、髭長1尺8寸 (下略)」と記していますが、この青銅製の像は記述に寸法を合わせて作られたものか、ほぼ等身大(像高172,0cm)です。製作されたのは明時代であるため、当然ながら関羽本人を手本にしたものではなく、伝承と想像をもとに製作されたものでしょう。

関羽は「1万人の兵に匹敵する」と『三国志演義』に記される武勇、敵である曹操からも賞賛された類稀な忠義心、そして孫権軍と曹操軍の挟撃による悲劇的な最期から、のちに神格化され篤い信仰を集めています。

中国各地にある「関帝廟」に祀られている関羽を模した像は、赤ら顔で長大な髭をたくわえ、体格もどっしりとしています。それに比べて、今回展示されている「関羽像」はスリムで、髭の量もやや少なく、精悍な印象を受けますね。

関羽・張飛像 (清時代 / 19世紀)

「関羽像」が甲冑をまとう「武将としての関羽」を表現しているのに対して、近くに展示された「関羽・張飛像」では、より人間的な関羽と張飛の姿が示されていました。

徐州の戦いで劉備は曹操に敗れ、劉備の夫人を守るためやむなく曹操に投降した関羽は、再び劉備に見えるための道中で張飛に再会します。張飛は関羽が曹操に寝返ったとして責めますが、すぐに早合点であったと分かり、関羽に謝罪します。

この土像はそうした場面を描いたもので、関羽の顔には無根な疑いに対する憤怒が表れ、張飛の顔には関羽の怒りへの戸惑いと申し訳なさが浮かんでいます。張飛の「やっちまった」とでも思っていそうな表情がユーモラスですね。

清時代に作られたものですが、関羽の赤ら顔や鋭い眼、張飛の角ばった顎や虎髭は、現代における関羽・張飛のイメージと共通しており、既に三国志の登場人物のキャラクターが確立されていたのだな…と推察されます。

趙雲像 (清時代 / 17~18世紀)

同じように英雄達の姿を伝える品として、木製の「趙雲像」も展示されていました。先の2品と同じく清時代に製作されたこの像では、趙雲最大の見せ場である「長坂坡の戦い」での勇姿が表現されています。

曹操軍の追撃の最中、戦場に取り残された劉備の息子・阿斗(劉禅)を救出し、敵兵を蹴散らして脱出する趙雲。この像においても、その懐には幼い阿斗が彫られています。

この他にも、張飛が督郵を鞭打つ場面等を描いた「関帝廟壁画」(清時代・18世紀)、呂布が貂蝉と密会し董卓を怒らせる場面等を描いた「三国故事図」(清時代・18~19世紀)、劉備が孔明に三顧の礼を施す様子を描いた「故事人物図」(明時代・16世紀)といった展示品が、英雄達の姿に思いを馳せるのを助けてくれました。

ただし、いずれの品々も明や清の時代に作られたもの、つまり、三国志の舞台であった後漢や晋の時代から千数百年も後に成立したものです。よって、英雄達の実像を伝えるものとは到底言えず、その点については、当時の文物が現存していないことを惜しく感じました。

さて、今回はここまでとします。次回は「その3 / あの人の愛用品」と題し、三国志の登場人物ゆかりの品々について記したいと思います。

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